乳がんとの闘病について~経験談~

症状

闘病

ニュースキャスターだったカレン・キーティングさんは、乳がんで亡くなりました。母親のグロリア・ハニフォードさんが、カレンさんがどのように病気と闘ったかについて語ってくれました。

カレンは、信じられないくらいプラス思考でした。一年半の余命宣告をされてもなお、病気に打ち勝つと信じていました。そして、余命宣告されてから7年も生き延びました。彼女は、一般的な薬による治療に加えて、マッサージや酸素などの補完治療を受けました。余命宣告よりも長く生きてくれて、本当に幸せな時間を過ごすことができました。

しこりの発見

彼女に最初に問題が起きたときのことをよく覚えています。二人目の子どもを出産した直後でした。胸のしこりが6週間も消えないと電話がかかってきたのです。すぐに病院でみてもらうように説得しました。

手術のあと、回復のために私の家に来ました。すると、彼女の夫から電話が来て、良くない知らせを受けました。30代前半という若さで乳がんになったという人は聞いたことがありませんでした。私は、現実を受け止めることができませんでした。目の前にいる娘が病気だなんて、信じられませんでした。

娘が亡くなったとき、子どもたちは7歳と9歳でした。自分たちの母親が病気であることは理解していましたが、ガンであるとは伝えていませんでした。誰も、病気を詳しく説明していませんでした。

ガンとの闘い

娘は、前向きな気持ちと気力で、痛みと精神的な苦痛に耐えてきました。彼女はいつも、糖尿病で亡くなる人だっているんだから、と言っていました。「私は、自分のやるべきことをこなすだけよ」と話していました。

病気との闘い方は、人によって違います。娘の場合、見えないところで闘い続けていました。亡くなったときに、体の至るところが損傷していたので、多くの人はそれで始めて事実を知りました。

今でもなお、信じられない気持ちでいっぱいです。時間が経てば乗り越えられると言う人がいますが、あれは嘘です。時間が経てば経つほど、彼女を失ったという現実が重くのしかかってきます。自分の子どもたちの成長を見られないと思うと、本当に悲しいです。

私は、両親を亡くしていますし、最初の夫も亡くなりました。ですが、子どもを亡くすということが、母親にとっては最悪の出来事です。

親が亡くなるということは想像がつきます。もちろん、まだ先のことであって欲しいとは願いますが、親が先に亡くなるというのは自然なことで、乗り越えることができます。でも、カレンのことはいつまでも恋しいです。私は、母親であると同時に、友達のような関係で、常に楽しく過ごしていましたから。長女だったので、本当に近い関係でした。家でも外でも、素晴らしい女の子でした。

前向きになる

娘を失った悲しみに、いろんな形で打ち勝つための努力をしています。カレンキーティング基金という、ガン患者のための資金を集める慈善事業を運営しています。患者さんがX線技師やカウンセリング、補完セラピーを探していたら、手伝っています。その人が少しでも楽になるためなら、どのようなことでも協力しています。

私自身は、誰かに話を聞いてもらうということが大切だと思っています。主人がとても聞き上手なので、よく話を聞いてもらいました。泣きたいときは、溜め込まずに泣くようにしました。忙しくしているということも、ためになりました。忙しければ忙しいほど、寂しさに打ち勝つことができる気がします。仕事も、家族や友達付き合いも忙しい日々を過ごしました。孫と過ごしていると、娘を見ることができるので、その時間に重きを置きました。マイナスの状況から、プラスになる何かを得ようと努力しました。

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