ケリー・マロニー:’私の60代の秘密’

’フランクの秘密’
引退したボクシングのプロモーター、ケリー・マロニー、旧姓はフランク、が彼女の夢、日記そして秘密の扮装について、またそれらを実現するのになぜ60年かかったのか話した。
1999年11月、ラスベガス。レノックス・ルイスがちょうどエヴァンダー・ホーリーフィールドを打ち負かし、イギリスの100年以上で始めての重量級世界チャンピオンになった。
リングサイドでの興奮した6000人のイギリス人のファンによる祝福の後、ルイスのプロモーター、フランク・マロニーが彼のホテルの部屋に戻り、闇に飲み込まれた、
彼は本来なら世界のてっぺんにいるように感じるべきであった。彼はちょうどイギリスボクシングの偉大なサクセスストーリーを成立させたのだ。彼のキャリアにとって最後を飾るものであるべきだ。
しかしフランクには秘密があった。全てを失う恐怖から誰にも一言も言えないほど大きい秘密である。フランクが彼の人生の秘密を世界に打ち明けるまであと15年かかることになる:彼は男の身体をした女性であるという秘密を。
2014年8月の発表まで、フランクは何年もケリーとして生活し、性転換手術に向けて準備していた。
ケリーが早く告白しなかった主な理由の一つは、父、トム、元鉄道職員が、息子が15歳で学校を去ってから成し遂げたことをとても誇りに思っていたからである。
”私は彼から尊敬されていた”彼女は言う、”彼は私を理想化しています。絶対に彼を傷つけることはできません。”振り返ると、ケリーは父の87歳での癌による死が転換点だったといいます。
”彼に伝えることができませんでした、死の床でも。”彼女は言う。しかし2009年の彼の死はケリーがもはや父の期待に沿って生きなくていいということを意味した。”私はもう彼をがっかりさせるようなことはないのです。”
ケリーはひそかに性転換を完了させる計画をたてていたが、全国紙が彼女を追い出すよう脅迫して無理やり公になってしまった。
公のポジティブな反応に元気付けられ、ケリーは新しくイギリスの最も有名なトランスジェンダーである人物としてトランスジェンダー問題についての意識啓発を呼びかけた。
彼女は一連の新聞やチャンネル5のCelebrity Big Brotherに三週間出るなどの テレビインタビューを受けた。
’私はいつも知っていた’
61歳、そして辛らつな60年近くの沈黙の後、彼女は言った”もはやこれ以上の重荷と生きていくことはできません。私はいつも知っていた…3、4歳の頃から。それが何だかは知らなかったけど、鏡で見たものとは交わらなかった。”
しかし1950年代に南ロンドンのペッカムで、労働者階級のアイルランドカトリックの両親の元に育つことは、人と異なることは許されなかった。”私はただ普通の男の子になりたかった。当時、言語障害を持っていたりジンジャーヘアであるだけで呼び出された。”彼女は語る。
だからケリーは”男子の1人として受け入れてもらえるよう人一倍頑張った”、可愛い女の子とデートしたり、陸上やサッカー、ボクシングなどのスポーツをした。
しかし彼女が普通の男の子になり馴染もうと努力するほど、心の内で彼女は女性になりたい、おしゃれをして女性のように振舞いたいと強く感じた。”私は女性の脳を持っているんです。他の子供たちと比べ始めた瞬間から、自分が普通とは違うと知っていました。私の魂は正しい身体に入っていなかったんです。女の子を妬んでいました。”
”もし綺麗な女の子を見かけたら、自分があの服を着ていたらどんな風だろうとよく考えました。そうしたら気を紛らわせて、それについて考えるのを止めました。”
ケリーが彼女自身でいられるのは夢の中だけだった。”全ての夢で私は女性でした。最初は誰か別の人の夢をみているのかと思った。”
子供の頃の夢は消えることなく、ケリーが年齢を重ねるにつれより鮮明になっていった。”夢の中では本当の自分として生きていたんです。”
彼女は高い地位にありボクシング界の影響を受けていても、ケリーは毎日日記をつけ、そこで抑圧されたケリーは息をすうことができた。”ケリーについて知るべきことは全て日記の中に書いてあります。日記をつけることで、胸にたまったものを出すことができました。それはセラピーのようなものでした。”
秘密のおしゃれ
誰も秘密を共有する人がいなかったので、トランスジェンダーの人の経験が書かれた本やウェブサイトを読むことで、ケリーは心強く思った。
クリスティーン・ジョーゲンセンとエープリル・アシュレイは1950年代に初めて性転換手術を受けた人物であるが、彼女は彼らのストーリーが書かれた本を読んだのを思い出す。”それは私にとってあり得そうなことには思えませんでした。”
彼女のケリーになりたいという願望をみたすために、しばらくの間だけ、本通から離れたダブリンやマンチェスターの下り道にある店でプライベートドレスアップセッションに参加した。”300ポンドでメイクしてもらい、そこに3~4時間いることができるのです。数時間だけ、私は本当の自分でいることができました。”
’ボクシングは良い気晴らしだった’
時は男らしいボクシングの世界に戻り、ケリーはそこでリングで英国旗のスーツを身にまとった強情なロンドンの変人との評判をたてていた。”ボクシングは自分の考えから目をそらせる良いきばらしでした。私は完全に没頭して、週7日一日24時間、ずっと熱中していました。”
対決の夜、ケリーは時々彼女のチームをロッカールームに残し観客のいるアリーナに入っていき、少し妄想にふけったりした。
”観客にいる魅惑的な女性のうちの1人になれたらどんなだろうと想像しようとしました。でもロッカールームに戻ってボクシングに集中しました。”
ボクシングリングの外では、ケリーは社会の期待に添えようと努力した。彼女は純粋に愛を見つけ、二回結婚し、3人の娘を持っている。
”愛し合い、結婚することで自分の頭の中で起こっていることを打ち負かすことができると考えたんです。ですが年を重ねるにつれ、内なる葛藤が難しくなっていったんです。”
離婚
ケリーの秘密は徐々に彼女を引き裂いていった。鬱に悩まされ、酒を多量飲み、世界や家族から彼女自身を断絶させるようにした。”私の人生はコントロールできなくなってしまっていったんです、私は実に不幸せでした。機嫌もどんどん悪くなっていった。”
彼女はカウンセリングに出向き、12年間電話や対面で受けたセッションは自分と折り合いをつけるのに大いに役立ったと話す。
彼女はある1人のカウンセラーとけんかしたことを思い出す。”私はただ彼に自分がトランスジェンダーじゃないと言って欲しかったんです。でも彼は、もし私が普通の生活を送りたいのなら自分自身を受け入れる必要があると言いました。”
ケリーはいまだに彼女を助けてくれたtransgender support group TG Palsいくつかの機関と連絡をとっており、彼らの活動を熱心に支援している。
彼女の父、ボクサーのダレン・サザランドの自殺、そして彼女自身の健康ー彼女はボクシングのマッチを観ているときに心臓発作を起こしたーが全て、2009年に彼の妻に全てを打ち明ける決断に重くのしかかった。
”トレーシーはカウンセラー以外で打ち明けた初めての人でした。彼女は誰にも言わないと誓いました。子供たちを守るためにも、死ぬまで秘密にすると。”
夫妻は無駄にも関係をやり直そうと努力した。離婚に続いてケリーは2012年のクリスマスに自殺しようとしたーその頃では二回目の自殺の試みであった。
”もう自分で対処できないところまでいっていたんです。もう続けることができなかった、そして私はそう生まれるべきであった人物の人生を始めなければならなかった。”
彼女は秘密が世間に知れ渡る前に家族に全てを打ち明けた。ショックと涙の後、彼らのほとんどは彼女を支援するといった。娘たちは彼女のことを”パパ”と呼ぶのをやめなさそうだったが。
”81歳の母については言い尽くせません、彼女はいつもは私が兄弟とは違うことを知っていて、ようやく理由がわかったと私に告げたのです。”
”家族が受け入れてくれたのは、母のおかげだと思います。彼女が家族に打ち明ける機会をつくってくれたのです。彼らの支援は世界で自分自身としてやっていく自信をくれました。”
性転換手術とアイデンティティ
過去2年間、ケリーはホルモン療法、体毛除去電気分解療法、ボイストレーニングそして専門家のカウンセリングを受けてきた。彼女の性転換の最終段階は、男性器を女性器にするための再編成にかかわるものだった。それは胸の移植や顔面整形と同じようなもので、全て秘密裏に行われた。彼女の性転換は性的指向に関するものではなく、性同一性に関するものだと言う。
なぜケリーという名前なのか?”いつもケリーだったからです。短くて可愛らしい。私は失読症で、ケリーは発音しやすいし綴りやすい。”
”手術を受けるまで、半分だけ人間のように感じていました。私は女性で自分の身体が精神に合うまで性転換は完了しないのです。”
”私はラベル付けされたくありません。私は性転換した女性ではありません。人間なのです。生まれたときの間違いを治しただけの事です。”
フランクはどこにいるのだろうか?”フランクはいまだに私の一部です。でも役割は逆転しました。ケリーはフランクのほんの一部だったのですが、今ではフランクがケリーの小さな一部なのです。”